2018年8月30日木曜日
2018年8月29日水曜日
2018年8月27日月曜日
2018年8月25日土曜日
洪水から2週間目
パチンコ店の駐車場の自衛隊の車など
ボランティアの人たち
自衛隊の給水車
7月21日(土)
町中が水没した後、約1週間後にディスカウント店のディオが営業を開始したのいうのを聞き行ってみる。
7月14日の開店直後にも行ってみようとしましたが、道がものすごい渋滞で途中であきらめていたのです。
道の両側はゴミの山、空気も悪く土埃がったったり悪臭もしていました。
その日は自衛隊やボランティアの人や車で余計に渋滞していたようです。
21日にはスムーズに行くことができました。
おにぎりや弁当、カップラーメンに飲料などが主でした。
ということで、買い物に困った私は里の兄嫁に水や買い物を依頼。
本当に助かりました。
店の前ではそこのテナントの格安理髪店が、暑いので朝5時から10時まで無料で営業していたので夫と共に私も散髪をしてもらい、少し気分がスッキリ。
道を挟んだ店の反対側の駐車場には、自衛隊の車やボランティアを運んできたバスなどが多く見られました。
被災ゴミなど少しは片付いていましたが、まだまだという感じ。
帰路、自衛隊の給水車に立ち寄り水をもらって帰りました。
復興までには途方もない道のりです。
写真はクリックで大きくなります。
2018年8月24日金曜日
倉庫が浸水
米が水びたし
倉庫の中が滅茶苦茶
7月8日(日)
早朝避難場所から家に帰ってみると、水は随分引いていました。
我が家は無事でしたが、ほんの少し低い所にあるすぐそばの倉庫は1メートル位浸かり、中の物が滅茶苦茶に。
その倉庫には米や田植え機などの農機具の他は、平素あまり使わない食器や読み終えた本そして使っていない冷蔵庫や布団などが置いてありました。
それからというものは暑い中片付けに大忙し。
倉庫の中のものを外に出しては車に積み、クリーンセンターという山の中のゴミ焼却場に夫が通いましたが約1週間かかりました。
泥水に浸かった物は、臭いし洗ってもなかなか泥が落ちないものですね。
ということで殆どの物は捨てました。
草刈り機、ミニトラクターそして田植え機は水没で壊れてしまいました。
家が全壊、半壊し避難所生活している人達や床上浸水した人達に比べると、我が屋などは被害がないにも等しいと思いました。
が、その後当分困ったことがありました。
断水、買い物、固定電話の不通とそれに伴うネット障害などです。
数日後に飲めない水が通水されだしましたが、食器洗いなどはずっと困った状態でした。
水は約半月後の7月24日に復旧しホッとしました。
買い物は近辺の店がオープンしないので、殆ど生協の配達に頼っています。
2018年8月23日木曜日
大洪水
10:13
用水路の水が溢れてきました。
10:13
少し高いところに車が避難しています。
10:57
田んぼにも水が流れてきています。
11:19
我が家の倉庫の前の車が浸かりそうです。
17:53
一面海で救助の船が行き来していました。
7月7日(土)
6日の深夜から7日の早朝にかけて、防災無線が避難を呼びかけたり携帯の避難情報 近況速報メールが鳴りっぱなし。
避難指示も出ていました。
にもかかわらず、我が家は少し高い所にあるので、そして今までそんなことは経験した事もないので「浸水などあり得ない」と思い暢気に朝まで寝ていました。
朝起きるや否やテレビを見た娘から「大丈夫?」とTEL.
こちらは朝からテレビは映らず新聞も休刊日?(配達不能?)で、真備町中が大変な事になっているも露知らず。
暢気にしていました。
が、我が家より標高が低い所の近所の人達はすでに避難していました。
そして事態は次第に深刻に・・・。
少しずつ我が家のほうにも水が上がって来ました。
昼過ぎになるとこれは危ないと思い始め、もっと高い所にある我が家の菩提寺に避難することに。
夕方に家に帰ってみると水は我が家の門の所まで来ていて、浸水まで後20センチ?位でした。
その頃から水は引き始めているようでしたが、念のため一晩お寺に泊めてもらいました。
その頃、岡田小学校の体育館には2000人もの人が押しかけているとか、救助を待っている人が2000人くらいいるとかという情報が入ってきました。
大事になっていました。
2018年8月22日水曜日
2018年8月21日火曜日
登録:
投稿 (Atom)